祝・野々市市政施行10周年!「野々市町」の名残を探したお散歩記録

石川を知る石川県,野々市市

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2011年11月11日、石川県にあった「野々市町」が現在の「野々市市」となりました。
ということで、本日2021年11月11日は、野々市市市政施行10周年記念日です。おめでとうございます!

石川移住者の私・hanikoは2018年末に野々市にやってきたので、「野々市市」である野々市しか見たことがありません。
でも、まちにはまだひっそりと「野々市町」の名が残されているところも。

野々市町の名が残る場所

「野々市町」だった頃の野々市は一体どんなまちだったんだろう?
まちで「野々市町」の名前を見つけると、ふと想像してみることがあります。

移住3年ですっかり野々市というまちに魅了された移住者の私が、今も残る「野々市町」を見つけたお散歩旅記録です!

※掲載写真は1日の散歩で見つけたものではなく、ここ一年で散歩中に見つけたものを撮影した写真です。2020年頃に撮影した写真もあるので、現在は既に置き換わっている可能性もあります。

カミーノの町民憲章

最初に「野々市町」を見つけたのは野々市の中心部、野々市本町の「にぎわいの里ののいちカミーノ」の駐車場奥で見つけた町民憲章。

「野々市尋常高等小学校跡地」の碑と並んで設置されています。

野々市町合併25周年を迎えた昭和55年に「野々市町 愛と和の町民憲章」が制定されたそうで、こちらはその記念碑のようです。もともとこの場所に役場庁舎があって、その正面玄関横に設置されていたんですって。

この頃までの野々市の歴史は、ざっくり以下の流れだそう。

  • 明治22年:町村制施行で「野々市村」になる
  • 大正13年:町制施行で「野々市町」になる
  • 昭和30年:富奥村と合併して改めて「野々市町」が発足

記念碑の「野々市町合併」とは、昭和30年の富奥村との合併を指すんですね。野々市市となる前の野々市町にも多くの歴史があったと窺わせられます。

ちなみにこの石碑のある駐車場のすぐ前に、コミュニティバス・のっティのバス停があります。
その横のコンテナは……

野々市町時代のものが残っていますね♪

フォルテの石碑

続いて、カミーノから旧北国街道沿いに西へ進んだところにある、野々市市文化会館フォルテへ。大きなステージの大ホールもあり、イベントやコンサートでもお馴染みの施設です。
ここでも「野々市町」を見つけました。

野々市文化会館フォルテ

フォルテの建物の手前、木の横に石碑が立っていますが、ここに刻まれているのも「野々市町」です。
ちょっと写真だと分かりづらいですね。。

綺麗な施設なので比較的新しい建物じゃないかと思っていたのですが、フォルテが開館したのは昭和63年のことだそう。しっかり野々市町時代のこと。
町→市になる直前、2011年4月に改修工事を終えてリニューアルされたんですって。

野々市駅前の石の広場

続きまして、野々市市の玄関口となるJR野々市駅へ!
北口には交遊舎があり、その前にはひときわ目を引く石のモニュメントがあります。

野々市駅前のモニュメント

青空の下にそびえ立つモニュメント、ちょっとカッコイイですよね。

こちらは「石の広場」という、様々な石が飾られた広場。

石の広場

広場入り口に立つ石碑には「野々市町長」と刻まれていて、横の碑には「野々市町御経塚」の入った組合名が記されています。
今では野々市“市”御経塚という住所、当たり前ですが、町時代は野々市“町”御経塚だったんですね。
私にはなんだかちょっと耳慣れません。長くお住まいの方は、どちらがしっくり来るのでしょう?

ちなみに御経塚には他にも「風の広場」「木の広場」「泉の広場」など、様々な広場があります。
まだ全ては巡れていないのですが、他のいくつかの広場入り口にも、同じ文言の碑が添えられていました。

まちなかで見かける野々市町集

さてさて碑として石に刻まれた「野々市町」を見つけましたが、特定の場所に行かずとも、野々市市のまちなかで「野々市町」を見かけることがあります。

たとえば、歩道沿いによく掲げられている注意系の看板
大体は既に「野々市市」になっていたり、「野々市町」の「町」部分に「市」のシールが上から貼られて修正されていたり。

修正された野々市市

こちらは修正バージョンの看板。
こういった形のものはとてもよく見かけるのですが……

野々市町

たまにチェックをかいくぐったらしいモノもあり、「野々市町」のままの看板を見かけます。

公園の看板

こちらは公園に設置された注意看板。葉っぱに隠れてチラリと、見えますか?

隠された野々市町の文字

横から回り込んでみるとしっかりお目見え。隠された「野々市町」を発見♪
ちょっと宝探しみたいで、見つけた時は嬉しい気分。

野々市町があるのは目線の高さだけじゃありませんよ。
視線を下に落として見ると……

仕切弁マンホール

仕切弁のマンホールにも、野々市町の文字が刻まれていることも。

この辺りはきっと、月日が経って交換しなきゃいけなくなった時期に「野々市市バージョン」に切り替わっていくんでしょうね。
今のうちしか見られない光景です。

市と町の共存パターンも!

ちょっとレア?
「野々市市」と「野々市町」が共存するパターンも見つけました。

椿公園の野々市市と野々市町

野々市中央公園の椿山にて。
犬のお散歩に関する注意看板で、同じ内容のものが二つ並んでいますが、それぞれ野々市町と野々市市になっています。

もうひとつ、今度は御経塚。

馬場川緑道で見つけた共存パターン。
右側の注意看板は「野々市市」ですが、街路樹のソメイヨシノに掛かった名札には、「野々市町」!

野々市町と、野々市市と

ということで、探せばまだまだあるかもしれないけれど、今のところ私が見つけた「野々市町」は以上です。まだまだこれからも野々市散歩はたくさんするつもりなので、見つけたら追記するかもしれません。

石碑に刻まれたものはこれから先も残るだろうけど、まちなかで見かける「野々市町」は今後どんどん「野々市市」に変わるんだなぁと思うと、町時代を過ごしていなかったのにちょっぴり寂しい気持ちになります。
でもこれからの「野々市市」の発展だって、とても楽しみ。
今とこれからの野々市をしっかり感じながら、のんびり過ごしていきたいです。

何はともあれ、10周年おめでとうございます!